nonoHana南彦根プロジェクトについて①

2021年9月6日月曜日

nonoHana

 きっかけはコロナでした。

 弊社の物件は彦根市最大の商業施設であるビバシティ平和堂のけやき通りを挟んだ向かい側にあります。

 彦根市界隈にお住まいの方は、画像のような居酒屋「昭和食堂」が営業していたことをご記憶の方もいらっしゃると思います。 ご利用いただいたことのある方、毎度ごひいきに、おおきにでした。m(_ _)m

 ところが察しのいい方も悪い方も、お察しでしょうが、2020年の春から日本中を席巻し続けているコロナ禍で、昭和食堂は2020年春から休業を余儀なくされ、閉店のまま同年12月でついに撤退。また、建物の背面で営業していた弊社ゆかりの卸会社の支店も昨年7月をもって退去することとなりました。

 賃料収入の9割(?)が一気に吹っ飛んで、本来ならもっと青ざめてよさそうなものですが、弊社社長「野々ハナヲ 父」の堅実な経営方針で弊社は財務状況が非常に良いのです。(お父さん!ありがとう!!!\(^o^)/)

 私も生来の気質が割とのほほんとしているもので、不謹慎ながら、おもしろくなってきたかも!と少し思ったのでした。

 彦根市以外の方にもご覧いただいていると思うので、南彦根について少々ご説明させていただきます。(傍で見てきたわけではなく資料に当たっておりますので、誤認があればご指摘くださいませ)

 彦根市の中心は言うまでもなく彦根駅にあります。井伊家18万石の城下町で、ひこにゃん様の(?)お膝もと。

一方、南彦根駅は1981年開業。ただそこは、開業当時、何もなかったわけではありません。遡ること13年、1968年、現在の南彦根駅の東側に、滋賀の商都とならんと、彦根百貨卸センターが大々的に開業されました。

 竣工当時の写真が「野々ハナヲ 父」の映像ストックにありましたので、共有させていただきたいと思います。画像は開業時の祝賀式典のものです。(全部で5枚)

 今見てもすごいでしょ?航空写真があるということは、その竣工はドローンのない当時、飛行機を飛ばして撮影し報道するほどの価値のあるものだったということが窺えます。くすのき通りの南側を大きく占めるビバシティを運営する株式会社平和堂をはじめ、彦根を代表する少なからぬ企業がここを創業の、或いは中興の地としています。

 余談ですが、株式会社平和堂の創業地は滋賀県彦根市銀座町(旧土橋町)。1953年に夏原平次郎氏により創業され、1966年に総合スーパー(今も営業中の銀座店では創業時の滋賀県で最初のエスカレーターが客を迎えてくれます)となり、南彦根は平和堂の、その後の発展を支える流通センターとなりました。 

 しかし、そんな南彦根の1つ目の転機はやはり、 1996年のビバシティ彦根の開業でした。

 長くなってきましたので、この辺で一度、稿を切りたいと思います。


 

●参考:彦根市勢(~平成28年)

●トップ画像はグーグルストリートビューからキャプチャーさせていただきました。2年前くらいの撮影で、現在はテナントは撤退して原状復帰されております。物件を四周から自在に観察できるので、建物や周囲の状況についてご興味のある方はこちらからアクセスしてご覧ください。